面倒だと思う隙を与えずに結果から作る
一つの物事に対して取り掛かるのに、『よしやるぞ』とすんなり腰を上げられる人と私みたいに、とりあえず心の中で『面倒くさい』と思わないと気が済まないタイプもいる。
私は日々、アウトドアに憧れながらもインドア生活をずっと続けてきました。
単純に太陽が嫌いということもありますが、休日に外に出るまでの工程が面倒くさいから。
でも、外に出るまでの工程なんて私は面倒くさいと思うけど慣れている人にとっては外に出るまでの過程でしかなく、特に何も考えずとも身支度をこなして外に出ていくじゃないですか。
つまり外に出るまでの準備が面倒なんじゃなくて、私がそもそもそれに対して面倒だと思うその心が問題。
外に出たいと思っているなら尚更。
仕事に行くのはもう絶対にしなければならないことなので、会社帰りならどこへでも行けますが休日になるとなぜか行けない…。
『面倒くさいからいいや』は、正直ってかなり悪魔的な思考だとハッキリ分かります。私がこの世で一番面倒くさがり屋だから分かります。
『面倒くさいからやらない』は、その先のすべての可能性、快楽、喜怒哀楽、幸福をすべて潰すことになる。
私が面倒くさいからやらないと考えてその後寝転がったりパソコンゲームをするという莫大な時間の中で、どれだけのことが出来たでしょうか。
そう思っているのに、何故やらないんだ。怖すぎる、怖すぎる。
何かのせいにするのであれば、アンドロイドみたいに『思考はするけど行動はしない』とプログラムされているし、ずっとその通りに動いてきたので
なかなかこれに気付いて覆すことができないという。
親に教えられてきたことが当たり前だと思って生きていて、それが当たり前ではないと気付かずに生きている、みたいなのと同じかな。
私の場合はもう生まれつき面倒くさがり屋だったので、面倒くさがりを貫いているのはもはや本能といっても過言ではないのですが
そんな自分が好きかというと全くそういうことではなくいつも自分に嫌気がさしています。
それでもなお動けないのは、変わりたいと思っている自分とは裏腹に、
『絶対に変えさせない』というこれもまた人間の本能のような悪魔が居座っているということ。
本能的には人間は変わってしまうと命の危機にさらされるので、出来るだけ変わらないように、つまり『安定志向、現状維持』が好きな人の方が多いですよね。
でもそんな本能、現代社会では絶対いらないだろ。サバンナじゃあるまいし笑
野生の世界で、誰にも気づかれない安全な洞窟を見つけてしまったら、確かにそこから動く理由ないですもんね。
そこからは出来るだけ誰にも見つからないように食料を調達しながら細々と生活していくしかない。
けど自ら命を絶つようなことや、事故に遭うこと以外で命が保証されているこの日本で、新しい環境に飛び込んで死ぬことなんてまずない。精神がボロボロになることはあっても。
今、私が『行動する』のであれば、色んな可能性が広がっているし、それはそれはとても守られている暖かな優しい環境にいるのに、
どうしてもこの面倒悪魔を倒すことが出来ないんです。
なので、私みたいな人間には『絶対にやらなければいけない状況を作り出す』作戦が良いと思いました。
まずアウトドアや外に出る誘いは絶対断らないイエスマン、いやイエスウーマンになること。
習い事や体験、とにかく何かに予約して絶対に行かなければいけない状況を作り出す。
(おそらく行く前日、相当面倒だけどそんなの関係ない。行け)
↑ そういえば、お金まで払ってライブ予約したのに面倒で面倒で行かなかったことあります…今はそんなことできない!
つまり、『結果』から作ることで過程がついてくる方式。
私はまず何かをやるにあたって『過程』のことを第一に考えて、いわば『面倒か』『面倒ではないか』を考える余地が、隙がありまくったってことですね。
例えば、私は家に彼を呼ぶために面倒な片づけをやっていたことがありました。
確かにそれはストレスがハンパなかったですが、それでも部屋は綺麗になりました。部屋が綺麗になることを望んでいたので、そんなストレスは別に損ではない。
片付けることがストレスなら、物を減らせばいいし。
部屋が汚いうちから彼を誘うことによって、絶対に片付けなければいけない状況を作り出していました。
だってこんな部屋に彼なんて呼んだら…ねえ。
もし付き合いたてだったらドン引きされますわ。
でも、それは『彼を呼んで彼に家にくつろいでもらう』という結果をまず描き、それを彼に伝えることによってもう絶対にやらざるをえない環境を作り出しましたから。
私はこうすることによってようやく動くことができます。そうでもしなきゃ動けません。
こういうやり方の方が捗るし、面倒悪魔が
『それって別に後回しでもよくない?』『なんかためになるの?』と囁いてくる声も全然響いてこない。そんなこと言われたってやるしかないんだから。
私は生まれてきてからずっと、その悪魔の声に従ってきたんだけどね…。
悪魔ちゃんは、少しでも隙間があったら入っていくんですよね。
本当は余裕を持ってやりたいのに、『いや、まだ時間があるから大丈夫』って。結局、本当にギリギリになっちゃう。
本当にギリギリになった時に悪魔ちゃんがようやく静まる。それ以外はずっと入る隙を伺って常に入ってくる。
だから夏休みの宿題とかも先延ばしにするんだわ笑
だからもう、明日の自分への『優しさ』を持って、悪魔ちゃんを何とか説得していくしかないんですよね。
確かにその腰が重すぎて動かないこともあるけど。
一番嫌なのは、ギリギリになって動いてひやひやすることですから。
寿命縮まってますよ、あれ。
でも、その面倒くさい性格が性格ではなく、生まれつき一緒にいた悪魔って考えたらちょっと可愛い気もする。
だってその悪魔の声に従っていても人生はつまらないけど、一生懸命私の事を守ろうとしてるってことだから。
でも、私は未だにその悪魔と仲良くできてないってことですね。
つまり、その悪魔に流されて生きてるってこと。
この悪魔とうまいこと仲良くできれば、この悪魔を消すってよりも、共存できる道を選んで生きていくのが一番いい生き方かなと思ってます。
成功体験を増やして、悪魔に『新しいことをしても大丈夫だよ』ってことを示すってことですね。
今まで新しいことを無理にしたことがないから、私の中の悪魔はまだビビりっぱなしってことです。
私は小さい頃から、家に来る電話を一切受けたことがなかったので
最近まで電話が凄く怖かったのですが今はかけるのも平気です。
それはなぜかっていうと、一人暮らしを初めて電話を『かけなきゃいけない』状況がたくさんあったから。
何かに『挑戦する』という環境にもいなかったし、チャレンジャーでもなかったのでいまだに悪魔はビビってるのですが
徐々に徐々に成功体験を増やしていくことによって悪魔を安心させる。
呼び名も悪魔じゃなくて、お友達にしちゃえばいい。
って、書きながら思いついたのですが。笑
なるほどねー。これに気付けば、こんな年になるまで悩むことなかったのかな。
とりあえず、今身近でやってるイベントとかチェックして予約してみようかな。
あと久々に呼ぼうかな。そしたら部屋絶対綺麗になるし。
さて、本当にやるのでしょうか?頼むよ、自分。
そしてこれからもずっと仲良くやっていこうぜ友達。