『既にある』って一体何だ。
引き寄せとかの記事見てたら、『既にある』っていう言葉をよく聞きますよね。
何かを願った時点で既にそれが存在する。
中には、見えないだけで目の前に存在すると言う人も…
エゴの視点から見たら分からない。
エゴは常に過去か未来を彷徨って、今は無いし、欲しいものが今目の前に無いから『欲しい』と思うし、それがあれば幸せになれると思い込んでる。
既にある…って私なりに考える。
そもそも、『ない』ってのは、『あった過去、それを見た過去』が自分の中に存在するから、『ない』と認識できるわけで、
本当に知らないものは認識すらできないから『ない』とも言えない。
『ある』けど、現実には『ない』
無いから欲しい。そう思うのは当たり前のことだけど、
それは『現実に無い』と認めていることになる。
確かにそれは存在する、自分の物でなくても、確かに世界に存在する。
そもそも、自分の物という概念もエゴの決めたもので、
自分の目に映る世界全てが自分の物、という捉え方もあり。
テレビの存在を知らない人が『テレビ欲しい』とは言えない。
テレビが欲しいと思った時点で、『テレビはある』という事なので、
その時点で叶っているよ、と。
『そんな簡単に手に入らない』と思っているとそれは
『ない』と認めていることになり、いつまでたっても無い。
だから、願った瞬間にもうそれは『存在する』と言われているわけなんですかね。
だって、自分が認識してるってことは『ある』ってことだから。
後は、ベストなタイミングで自分の手元に来ると。
これがエゴ視点だとなかなか難しいんですよね、腑に落とすのが…
『あら、今晩必要なにんじんが無いわ』と思っても、
『ない、欲しい、欲しい!』と悩むことないじゃないですか。
それほどにんじんに執着していないということもありますし、
スーパーに行けばすぐあるので、『ない』と落ち込むのは、ある程度作ってる最中でしょう笑
あれはショックだ。しかし、他の材料で補ったり、にんじんを入れるのを諦めたり。
『ない』と落ち込まないのは、『あることを知っているから』『手に入れる方法を知っているから』
でも、例えば恋愛なんかだと、今周りには素敵な男性なんて誰もいないのに、『背が高くてイケメンでお金持ちで私の事を大事にしてくれる人!』を望んでも、
いやいや、そんな簡単に現れるわけない…
と思っているのは思い込み。経験則。エゴのかたまり。
現実を見て、『周りに素敵な男がいないから』『そんな簡単にそんな人に出会えないから』『出会ったとしても私の事を好きになってくれるわけないから』
と、『ない』理由ばっかり集めて、そしてこれからも『ない』を引き寄せ続ける。
でも、背が高くてイケメンで金持ちと口に出しているということは、そういう人がいると知っている。つまりいる。
エゴ視点で観たら、そりゃ、現実にはいないし付き合ってないけど、
もし現実が自分で創れるものなら、自分の思考で出来ているなら
今、自分の隣に『その彼がいる』ように振る舞っても良い訳で、
その時、自分の中では『いる、ある』が真実になる。
物があるから、『ある』と認識しているというよりも、『ある』と思って、あると認めているから『ある』を認識できる。
目の前にあるけど、『ない』と認識したいのなら『ない』とすることも出来るし。
今、完全に目の前に嫌いな人がいるのに、いないと思えばいないことに出来る。
『あの人はチンパンジーだわ』と思えば、自分の中では完全にチンパンジー。
『ある』と思えて、『あの人は〇〇という名前で…こういう性格』
『あれは…こういう形をしていて名前はこうだわ』と認識できるのは、完全に過去と照らし合わせているからですよね。それが人間の頭では瞬時に出来る。
『そういえば、にんじんが無いわ。買ってこよう』と思って、買ってきたら
冷蔵庫の奥の方にあった!ということがあるじゃないですか。
それって、本当はあるのに、自分は『ない』が真実だと思っていた。
あるのに無い、と思えるのなら、その逆も出来る。
あるか、ないかを『自分の手元に』『自分の目の前に』そして『自分の所有物であるかどうか』で判断していて、
その固定概念を全部まっさらにすれば、
必然的に『ある』と言えるようになる。無いものは、本当に認識もしていないもの。
逆に言えば、『ある』と『ない』はセットで、
『ない』ことで悩んでいるのなら、それは『ある』が前提だから悩んでいるので、
『ある』と認めれば悩む必要もない。
これは最近気付きましたね。笑
過去には『あった』のに、今は『ない』
ことで悩むことって結構あるじゃないですか。
でも、やはりそれは必ず自分の中に存在するわけで、『あるのが当たり前』だけど『手元にはない、体験できない』
だから無いと認めてしまっている。いや、そう認めたいんだ、エゴは。目の前にありもしない、起こりもしないことを『ある』なんて言えない。
でもしかし、『ない』は『ある』とセットであるので、『ない』とも『ある』とも言えてしまう。自分の物であるかないかの概念をはずせば、確かに『ある』んですよね。
そういうことですかね、既にある、って。
なんか知ってる風に言ったけど、完全に自分の考え笑
確かにねー…ある、体験できると言われたら確かにそうだけど…でも…に続く言葉は自分で決めつけてる。しかもそれが真実であるかのように思い込んでますよね。
それに気付かず生きてることも多い。
普段から、『ある』に目を向けるようにしていれば、必然的に分かるようになるのかしら。